夜ごはんだけなら、簡単な物を作れると長女が言うので、今日ハイツに帰った。
主人が、夫が働いて帰ってきて、嫁さんも子供もいないのは寂しい物だと言って、
今日、帰ることになった。
主人の母は44歳で胃癌で亡くなった。
中学3年の10月の頃で、それから学校から帰ると家事をしていた。
高校受験のときに母親が亡くなり、家事をして勉強したくてもできなかったらしい。
舅は主人ばかりに家事をさせて文句を言い、3歳下の弟は遊んでばかりで、主人は
よく舅と激突していて、中学を卒業して、高校に入ってから、新聞配達所に住みこみで
朝刊をくばってから、ご飯を食べさせてもらい、学校に行き、学校から帰ってから、
夕刊を配って夕ご飯を食べさせてもらっていた。
春休み・夏休み・冬休みの昼間の時間はバイトに行っていった。
こんな生活してるから、勉強する時間は無く、大学2校受けたが不合格で、大学は
諦めて就職した。
子供たちに勉強しろ、勉強しろ、とうるさく言っていたのも、自分の果たせなかった、
夢を子供に託していたのかも知れない。
就職しても、高卒と大卒との給料の差があり、学歴は必要だと思ったらしい。
長女・次女は大学に行かず、看護専門学校に入学して、国家試験に合格して、
看護師になった。
息子は東京の大学に入学して、修士課程を取るために6年間大学・院に通う。
多分卒業したら東京で就職して、大阪に帰って来ないだろう。
私が20歳のときに主人と結婚することになっていたが、母が肺がんから骨肉腫になって
入院し、母の元にボンボンベッドを借りて、毎日、会社と病院の往復だった。
主人は毎日、病院に来てくれ、母を安心させてくれた。
早く孫の顔を見たいと言う母の願いは叶わず、52年の12月に亡くなった。
主人との結婚は、母の初盆が終わった53年9月に結婚してハワイに新婚旅行に行った。
最初は舅とは別居と言ってたのに、マンションを舅と主人で買って住んでいたので、同居
すると言われた。私はまだ21歳で主人が27歳で、正直言って、同居は不安で、いっぱい
だった、結婚する直前に会わせたい人がいると言って義兄に会った。
義兄は23歳のとき出勤する為に助手席に乗っていて、運転していた人が電車と衝突して
義兄は頚椎破損の大怪我で生死の中をさまよい、命だけは助かり、両腕、足、機能全廃の一種一級の身体障害者になった。
義兄の状態が落ち着くまで、主人が会社を休み、4ヶ月間、病院で付き添っていた。
舅との同居は舅が亡くなった4年間で義兄は53歳で亡くなった。
主人の涙を見たのは、舅が亡くなったときと、義兄が亡くなったときだけである。
舅に対してできた親孝行は、長女の誕生で、大変喜んでくれた。
舅が66歳のときに初孫ができて、それは、それは、とても喜んでくれて、長女のことを
大変、可愛いがってくれた。義兄も喜んでくれた。
舅が80歳ぐらいまで生きてくれていたら、3人の孫を見せてあげれたのにと、残念である。
主人は毎晩、寝るとき、お仏壇に手を合わせて、今日も一日無事すごせたことを、
報告してる。
主人は長女夫婦に、自分達の幸せな家庭を築いて欲しくて、実家に甘える、長女に、
きつい言葉が出てしまうと言ってた。
長女も主人のよさは、わかってると思うので、婿さんを大事にして、やんちゃ姫と、
12月に産まれる子供の為にも家計を安定させて、幸せな家庭を築いて欲しいと思う、
父親と母親である。
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